💡この記事のポイント
☑価格転嫁は単なる「値上げ」ではなく、適正な価格の見直し
☑政府は法改正や環境整備で中小企業の価格交渉を後押ししている
☑賃上げを実現するには、価格転嫁による利益確保が欠かせない
☑経営を「見える化」して数字で説明し定期的に見直すことが成功の鍵
☑支援制度や専門家を活用して一人で抱え込まない価格交渉を
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- 1.価格転嫁とは何か ― 値上げではなく「適正な価格見直し」
- 2.政府も後押しする「価格転嫁」の流れ
- (1) 「価格交渉促進月間」で交渉を後押し
- (2) 「労務費転嫁指針」で人件費も適切に反映
- (3) 取適法で「交渉しない自由」を排除
- 3.なぜ今、価格転嫁が求められているのか
- (1) 物価の上昇
- (2) 人件費の増加
- (3) 価格の見直しをしやすい状況
- (4) 価格転嫁による前向きなサイクルの実施
- 4.中小企業が感じている「価格転嫁のむずかしさ」
- (1) まず、話し合いのきっかけがつかみにくい
- (2) 特に難しいのが人件費(労務費)の転嫁
- (3) 現場には、まだこんな課題も残っている
- 5.企業が取り組むべきこと ― コスト上昇を「見える化」する
- (1) コストの実態をデータで正確に把握する
- (2) データを整理して資料を準備する
- (3) 定期的に見直す仕組みをつくる
- 6.中小企業が活用できる支援策 ― 一人で抱え込まないために
- 7.まとめ ― 価格転嫁は「持続的な経営」のための行動
1.価格転嫁とは何か ― 値上げではなく「適正な価格見直し」
最近、「価格転嫁」という言葉を耳にする機会が増えています。
価格転嫁とは、原材料費・人件費・エネルギーコストなど、企業が負担するコストの上昇分を販売価格に反映させることです。価格転嫁は単なる値上げではなく、取引条件を適正化し、企業が健全に経営を続けるための調整であるという点がポイントです。
中小企業にとって、価格転嫁は長年難しい課題でした。取引先との交渉にあたっては、「値上げをお願いするのは気が引ける」「他社が上げていないから言い出しにくい」といった心理的ハードルが存在します。
しかし、コスト上昇を自社だけで負担し続けることには限界があります。利益が削られれば、社員の賃上げや設備投資の余力を失い、将来の成長が難しくなります。だからこそ、取引先の信頼を損なわず、現実的な価格へ見直すことは、会社の体力を維持し、持続的な成長を実現するために欠かせない判断なのです。
2.政府も後押しする「価格転嫁」の流れ
政府は、企業が利益を確保し、賃上げや投資を継続できる環境づくりの一環として価格転嫁を重視し、取引条件の適正化を進めてきました。以下のような後押しにより、適正な価格転嫁が浸透することが期待されます。
(1) 「価格交渉促進月間」で交渉を後押し
中小企業庁と公正取引委員会は、2021年度から毎年3月と9月を「価格交渉促進月間」と定めています。この期間中は、企業に対して取引先と価格交渉を積極的に行うよう呼びかけ、各月間の終了後に、交渉状況を調査・公表しています。2025年3月度の調査では、交渉実施企業は約9割に達し、原材料費だけでなく、人件費やエネルギー費でも転嫁が進みつつあることが報告されています。この取り組みにより交渉の機会が生まれやすくなり、「話し合うことが当たり前」という市場環境が徐々に整いつつあります。
(2) 「労務費転嫁指針」で人件費も適切に反映
2023年11月、内閣官房と公正取引委員会は「労務費の適切な転嫁のための価格交渉指針」を策定しました。最低賃金の引き上げや人手不足に伴う人件費の高騰を踏まえ、人件費上昇分を適切に価格へ反映させるためのルールを明確化したものです。(4章に詳述)
(3) 取適法で「交渉しない自由」を排除
さらに、2025年には下請代金支払遅延等防止法および下請中小企業振興法が大きく改正され、それぞれ2026年1月施行の「中小受託取引適正化法(通称:取適法)」、「受託中小企業振興法(通称:振興法)」へ移行します。
取適法では、受注側(下請企業)が価格改定を求めても、発注側(親企業)が協議を行わず一方的に代金を決める行為を禁止。これまで曖昧だった「交渉に応じない自由」は認められず、協議を行わないこと自体が違法とされます。他にも手形による支払の禁止、物流・運送などこれまで対象外だった業種も新たに規制対象となるなど、多くの改正があります。
3.なぜ今、価格転嫁が求められているのか
なぜ近年、価格転嫁がこれまで以上に注目されるようになったのでしょうか。その背景には、企業を取り巻く経営環境が大きく変化し、従来の経営のやり方では乗り切れない場面が増えているという現実があります。
(1) 物価の上昇
まず、多くの企業が直面しているのが物価の上昇です。原材料費やエネルギー価格など、事業運営に不可欠なコストが継続的に上がり続けています。この傾向は一時的なものではなく、今後も長く続くと見られています。
(2) 人件費の増加
加えて、深刻な人手不足を解消するための人件費増加も原因の一つです。採用の難しさが増す中、社員の定着や確保のためには待遇改善や採用コストの増加が避けられません。最低賃金も毎年のように上昇しており、企業にとって人件費の負担はこれまで以上に重くなっています。
(3) 価格の見直しをしやすい状況
さらに、日本全体が “物価が上がる” 前提の経済環境 へと変わりつつあることも価格転嫁を後押ししています。消費者も度重なる値上げに慣れ、企業側が価格を見直しやすい状況が生まれています。これまでのように「値上げは難しい」と構えすぎる必要がない、という環境に変化しています。
(4) 価格転嫁による前向きなサイクルの実施
これらの背景を踏まえると、企業は物価上昇に対抗しつつ、上昇したコストを賃金や生産性向上へ適切に振り向けるためにも、価格転嫁を適切に行っていくことが不可欠です。価格転嫁によって利益を確保し、その利益を賃金改善や投資につなげ、生産性を高め、さらに物価上昇へ対応する——この前向きなサイクルをつくることが、今必要とされているのです。
4.中小企業が感じている「価格転嫁のむずかしさ」
価格転嫁の必要性は広く知られるようになってきましたが、いざ実践となると「どう進めてよいか分からない」「うまくいかない」という声がまだ多くあります。ここでは、公的資料から読み取れる、現場における課題を整理してみます。
(1) まず、話し合いのきっかけがつかみにくい
これまで特に多かったのが、値上げの話題を切り出しにくいという悩みです。
関係が悪くなるのが怖い、暗黙の上下関係があり言い出しにくい、といった心理的な理由から、交渉そのものに踏み出しづらい状況が長く続いていました。最近は法律の改正や「価格交渉促進月間」などの制度が整い、以前より話題にしやすい環境が生まれてきています。
(2) 特に難しいのが人件費(労務費)の転嫁
原材料費やエネルギー費は請求書や相場の変化を示せるため、資料を用いて比較的説明しやすいコストです。一方で、人件費(労務費)は次のような理由で説明に手間がかかります。
・どの作業にどれくらい時間がかかったか示す必要がある
・「人件費は自社努力で吸収すべき」という認識が根付いている
・社内の情報を外部に説明することに抵抗がある
こうした背景から人件費だけ転嫁が遅れやすい状況が続いてきました。その対策として作られたのが、「労務費転嫁指針」です。発注側・受注側がどんな資料を用意し、どのように話し合いを進めればよいのかが整理され、「人件費も正当に転嫁すべき」という考え方が明確に示されました。この制度による後押しで今後人件費の転嫁が進むことが期待されています。
(3) 現場には、まだこんな課題も残っている
制度が整ってきたとはいえ、中小企業の現場では次のような課題や実務的な悩みが依然として残っています。
・二次請け、三次請けなど受注の階層が深くなるほど転嫁が進んでいない
・会社規模や業種によって、転嫁状況に差が生まれている
・原価計算の仕組みが十分でなく、根拠を示すのに時間がかかる
・複数のさまざまなコストが同時に上がり、説明が複雑になりがち
・交渉しても、希望額の一部しか認められないことが多い
制度によって環境は着実に整いつつありますが、現場ではまださまざまな壁が残っています。
これらの課題には、自社のコスト構造を整理し、根拠を持って説明できる状態で交渉に臨むことで解決できるものもあります。次の章では、そのための「コストの見える化」の進め方をご紹介します。
5.企業が取り組むべきこと ― コスト上昇を「見える化」する
労務費を含むコスト上昇を適切に伝えるには、感覚ではなく「数字と根拠」で説明できる準備が欠かせません。原材料費、エネルギー費、労務費などのコストを一体的に把握し、自社の経営構造を整理することが第一歩です。「見える化」は価格交渉を円滑にするための準備であると同時に、日ごろから経営を健全に保つための基本的な取組でもあります。
(1) コストの実態をデータで正確に把握する
原材料費、電気料金、人件費など、主要なコスト項目の推移を過去数年分で整理しましょう。たとえば、仕入れ単価、電気代、人件費の増加といった変化を、具体的な数値で示すだけでも説得力が高まります。こうした情報は会計帳簿や請求書といった自社データだけでなく、公庁や業界団体が公開している統計データも活用して収集することができます。
たとえば、厚生労働省「毎月勤労統計調査」や資源エネルギー庁「石油製品価格調査」、日本銀行「企業物価指数」などの公的データを参照すれば、客観的な根拠をもって説明できます。
主な参考サイト
●厚生労働省 毎月勤労統計調査
●資源エネルギー庁 石油製品価格調査
●日本銀行 企業物価指数
自社の製品・サービス単位での原価を把握しておくことも重要です。どの取引が採算を圧迫しているかを把握することで、交渉の優先順位や見直しの方向性が明確になります。
必要に応じて税理士などの専門家に依頼し、取引先別・商品別の採算分析を行いましょう。
(2) データを整理して資料を準備する
交渉の際には、「どのコストが、どの程度上がったのか」の裏付けをしっかりと資料にまとめて示すことが信頼につながります。仕入れ値の上昇を示す見積書、燃料費や電気代の請求書、労務費や社会保険料の増加データなどを揃えたら、整理して相手に分かりやすい形でまとめましょう。たとえば、「全体の原価が25%上がり、そのうち15%は社内の効率化で吸収しました。残る10%分について取引価格の見直しをお願いしたい」と具体的に説明できれば、交渉はスムーズになり、安心感にもつながります。
(3) 定期的に見直す仕組みをつくる
価格転嫁は一度きりの交渉ではなく、継続的に見直すことが重要です。
原材料や燃料費などのコストは常に変動します。コストの変動に合わせ、年に一度または半期ごとに確認・見直す定期サイクルを設けることが重要です。あらかじめ「定期的にコストを確認し、協議を行う」というルールを取引先と共有しておけば、急な値上げではなく、互いに納得したうえで調整ができます。こうした継続的な話し合いが、長期的な信頼関係の構築につながります。
6.中小企業が活用できる支援策 ― 一人で抱え込まないために
価格転嫁を進めたいと思っても、「どのように取引先に話せばよいのか分からない」「資料の作り方が分からない」と感じる経営者は少なくありません。こうしたときに頼りになるのが、国や自治体が整備している支援制度や専門家のネットワークです。これらを上手に活用すれば、法的なルールを踏まえながら、無理のない形で交渉の準備や実践を進めることができます。
(1) 公的な相談窓口と支援制度を活用する
各都道府県に設置されている「よろず支援拠点」では、価格転嫁や取引改善に詳しい専門相談員が常駐し、無料で相談を受け付けています。交渉の進め方から原価計算の方法、取引先とのトラブル対応まで幅広く相談でき、何度でも利用できます。地域によっては実践的な研修を行っている場合もあります。こうした場を活用すれば、経験の浅い経営者でも実践的な感覚をつかみやすくなります。
また、毎年3月と9月の「価格交渉促進月間」も、忘れずに活用しましょう。毎期公表されるフォローアップ調査では業種別の転嫁率や交渉実施率が公表され、自社の取り組みを客観的に把握する指標にもなります。
価格交渉を行う際には、「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」を意識し、応用することが重要です。他の支援制度を活用する際も、この指針に沿って根拠資料を整備し、文書で説明できるよう準備しておくことが大切です。
(2) 専門家の支援を受けて実務をスムーズに
原価計算や採算分析、説明資料の作成といった業務は、専門的な知識を必要とします。税理士や認定経営革新等支援機関(認定支援機関)に依頼すれば、経営状況を把握するための支援や助言を受けることができます。
さらに、認定支援機関を通じて、金融機関や行政の支援策と連携することも可能です。たとえば、価格転嫁を「経営改善の一環」と位置づければ、融資や助成金などの支援につなげやすくなります。
厚生労働省の「業務改善助成金」を活用すれば、生産性向上のための設備投資を行い、その成果として賃上げを実施した企業が助成を受けられます。こうした制度を組み合わせることで、価格転嫁・賃上げ・経営改善を同時に進めることができます。
価格転嫁は、経営者が一人で抱え込む課題ではありません。国や自治体の支援、専門家の知恵を活用することで段階的に進めることができます。
7.まとめ ― 価格転嫁は「持続的な経営」のための行動
価格転嫁は、企業が長く経営を続けるために欠かせない取り組みです。原材料費や人件費の上昇を適切に取引価格に反映させることは、利益を守り、賃上げや投資を実現するための基盤となります。
実務上の要点は、数字に基づく説明と定期的な見直し、そして経営者が一人で抱え込まないことです。公的支援と専門家を活用し、適正な取引条件への調整を継続してください。価格転嫁は、変化の時代において企業が柔軟に成長を続けるための第一歩です。
参考リンク
・中小企業庁『2025年版 中小企業白書』
・中小企業庁「価格交渉促進月間の実施とフォローアップ調査結果」
・パートナーシップ構築宣言
・公正取引委員会「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」
・公正取引委員会「下請法・下請振興法が取適法・振興法に変わります!」
・厚生労働省「業務改善助成金」
・厚生労働省「最低賃金引上げに向けた中小企業・小規模事業者への支援事業」
・よろず支援拠点
記事提供
株式会社TKC出版 1万名超の税理士および公認会計士が組織するわが国最大級の職業会計人集団であるTKC全国会と、そこに加盟するTKC会員事務所をシステム開発や導入支援で支える株式会社TKC等によるTKCグループの出版社です。
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