日本四大杜氏(とうじ)のひとつに数えられる、能登杜氏。石川県能登町の松波酒造は能登半島地震により酒造りの拠点を失う。窮地に陥った金七(きんしち)さん家族に、同業者は救いの手を差し伸べる。仮店舗での再出発にこぎ着けるまでの道のりを追った。
(写真)左から芳野欽之顧問税理士、金七政彦社長、金七聖子さん、経理を担当する金七えり子さん
2025年9月14日。能登町に1軒のトレーラー型店舗が開業した。松波酒造が運営するトレーラーハウス店だ。店先に張られたテントでは日本酒が振る舞われ、能登名物のイカせんべいを販売した。遠く大分や鹿児島、東京などから営業再開を待ちわびた人々がつめかけ、オープン後2日間の来店客は200人にのぼった。
「毎週金曜日から日曜日の夕方に営業していますが、お店に明かりがともるだけで周囲の雰囲気がガラッと変わります。私たちは変わらず営業していますという目印になるし、地域の方々にも気軽に立ち寄ってもらえるスポットになっています」

金七聖子若女将
柔和な表情で話すのは、若女将の金七聖子さん。店舗では代表銘柄の「大江山」をはじめとする日本酒を販売し、カウンターで試飲もできる。キッチンや冷蔵スペース、事務室も備え、つくりは通常の店舗と遜色ない。シャーシを愛知県で製造し、木造の店舗部分は金沢市内で組み立てた。基礎工事が不要で、固定資産税がかからないのがトレーラーハウスのメリットだ。気分が盛り上がる内外装にしたかったという聖子さんの思いを詰め込んだ結果、設計から納車まで6カ月以上かかった。
「トレーラーハウスでの再開を決めたのは、24年11月ごろ。さまざまな方との出会いがあり、ようやくオープンにこぎ着けられました。松波は海の幸に恵まれているし、空気感もいい。以前の風景は戻らないかもしれないけれど、アップデートした能登の名所になれるといいですね」

トレーラーハウス店の入り口には「大江山」ののれんを掲げる
300平方メートルにのぼるこの敷地には、かつて酒蔵が建っていた。
1.倒壊した蔵から酒米を救出
能登杜氏発祥の地といわれる、奥能登。松波酒造は能登町松波に酒蔵をかまえ、日本酒造りを150年以上にわたり続けてきた。れんが造りのかまどで酒米を蒸し、木製の槽で酒を搾る。木製の槽は希少で、全商品を槽で搾る酒蔵はほぼ見当たらないという。六代目の金七政彦社長は、蔵人として日本酒造りに長年携わってきた。能登産の果物を使用したリキュール開発では、杜氏を務める。
「おもに『五百万石』という酒米を用いて、四段仕込みで造るのがうちの特徴です。酒類の製造、卸・小売りに加え、プロパンガスとたばこの販売も手がけていました」(政彦社長)
聖子さん発案による蔵見学をオフシーズンに開催。日本酒愛好者はもちろん、建築ファンのあいだでも人気を博していた。「梁に、けやきの1本柱を使用した蔵のつくりが珍しかったようです」(政彦社長)。24年元日の地震により、同社のシンボルだった築150年超の蔵と、会社は全壊してしまう。猛威を振るっていた新型コロナ感染症が収まり、全国各地への出張販売や蔵見学などの施策を通じて反転攻勢を仕掛けようとしていた時期だった。「米国やフランスからの観光客の受け入れなど、蔵見学はすべて中止にせざるを得ませんでした。崩壊してしまった蔵を目の当たりにして、悲しいというより、試練つづきで腹立たしかった」と聖子さんは当時の心境を明かす。
木製の槽や出荷前の商品が甚大な被害を受け、電話回線も不安定となるなか、聖子さんの携帯電話が鳴る。「困ったことがあれば遠慮なく言ってほしい」。電話のあるじは、県南の小松市にある加越の奥田和昌杜氏だった。「奥田さんは営業から杜氏に転じた経歴を持つ、フレンドリーで腕の立つ方。20年近く付き合いがあり、電話をもらったときはうれしかったですね」と聖子さんは感慨深げに語る。山田英貴・加越社長が石川県酒造組合連合会会長(当時)を務めていたこともあり、金七さん一家は同社を頼ることにした。蔵は全壊したものの、酒米と商品の一部は被害を免れていたのだ。

崩壊した酒蔵と松波川(撮影:Yutaka Imai)
「避難した金沢市内のアパートから片道4時間トラックを運転して松波へ行き、壊れた蔵から酒米などを取り出し、加越さんに搬入しました。山田社長や社員の皆さんにも搬出入を手伝ってもらい、本当にありがたかったです。いまも加越さんに毎週通って、出荷作業や顧客対応を行っているほか、トレーラーハウス店の運営、事務作業に日々追われています」(同)
2.クラファンが復活を後押し
トレーラーハウス店にならぶ「大江山GO」は、加越とのコラボレーションにより生まれた日本酒だ。純米大吟醸の製法を共有し、蔵から取り出した酒米「百万石乃白」を原料に使用している。震災後すぐの酒造りには奥田杜氏と蔵人、聖子さんが参加した。

加越(小松市)と造った純米大吟醸「大江山GO」
「加越の皆さんと酒造りや瓶詰めを行うのも、今年の冬で3回目。霊峰白山のふもとにある酒造会社が、能登半島の漁師町での酒造りを共有して日本酒を醸すのは、レアケースだと思います」(聖子さん)
大江山のラベルを冠した酒造りが活性化するきっかけとなったのが、「能登の酒を止めるな!」というプロジェクトだった。白山市の吉田酒造店が発起人となり、24年1月に立ち上がった。松波酒造をはじめ、奥能登の5社と全国19の酒造会社が参加。クラウドファンディングで資金を募り、両社のコラボレーションによる共同醸造酒を開発してきた。25年春の第4弾企画までに集まった応援総額は、6,000万円以上にのぼる。
「群馬県や愛知県、東京都の酒造会社とタッグを組み、お互いの原料や製法を元に製品化しました。クラウドファンディングで応援していただいた方も、トレーラーハウス店へ足を運んでくれます。私たちが事業を継続していることを証明するためにも、このお店は必要なんです」(同)
各地の酒蔵と連携した酒造りに並行して、トレーラーハウスの設計も着々と進んだ。ただ、人件費、原材料費の高騰にともなう高額な工事料金が重荷となる。最終的に1,800万円に達した代金の支払いの一部には、県や地元商工会連合会の補助金を活用した。補助金の申請に際して、被災前の3カ月間の月間売上高や前年同月との増減等の記入を求められたが、時間を要しなかった。松波酒造はTKCのクラウド型会計、販売管理システムを利用しており、被災前のデータがクラウドサーバー上に保存されていたのだ。「古い帳簿や決算書類は後で取り出せたとはいえ、資金が必要なときに過去のデータを迅速に確認できたのは、非常に大きかったです」と聖子さんは振りかえる。
3.困ったときは声を上げる
さらに、クラウドシステムなら会計事務所とインターネット経由で画面を共有して、相談や指導を仰ぐこともできる。同社と50年以上顧問契約を結んでいる、芳野会計事務所の芳野欽之税理士が強調する。
「震災復興関連の融資を申し込むと、被災前の試算表と直近月の売上高がわかる資料の提出を求められるケースが多いです。松波酒造さまはクラウドシステムに移行され、経理業務を止めずに済んだため、資金繰りに支障をきたしませんでした。能登でも家族経営の会社は少なくなりつつあります。震災という非常事態に結束できたのは、家族経営ならではの強みといえます」
インスタグラム等のSNSを駆使した意欲的な情報発信が実り、トレーラーハウスに明かりがつくと、営業時間前でも客が訪れる。金沢市から店舗まで車で2時間半ほどかけて通う生活がしばらく続きそうだが、松波への愛着は衰えない。
聖子さんはこう言葉を紡ぐ。
「被災してわかったのは、ふだん『助けて』ってあまり言えないけど、本当に困ったときは声を上げた方がいいということ。全国の酒造会社さんやお客さま、クラウドファンディングで応援してくれた方々、ボランティアの皆さんの支援があったからこそ事業を続けられました。これからもなま温かく見守ってほしいと思っています」
(取材協力・芳野欽之税理士事務所/本誌・小林淳一)
| 名称 | 松波酒造株式会社 |
|---|---|
| 業種 | 酒類製造、販売業 |
| 創業 | 1868(明治元)年 |
| 所在地 | 石川県鳳珠郡能登町松波30-114 |
| URL | https://www.o-eyama.com |
| 顧問税理士 |
芳野欽之税理士事務所
石川県鳳珠郡能登町小木11-14 URL: https://www.tkcnf.com/yoshinokaikei |
掲載:『戦略経営者』2025年12月号
記事提供
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「TKC全国会」に加盟する税理士・公認会計士の関与先企業の経営者を読者対象に、1986年9月に創刊されました。
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