2025年09月10日

「令和の米騒動」の余波は数年続く 今こそ国土のグランドデザインを描け

「令和の米騒動」の余波は数年続く 今こそ国土のグランドデザインを描け
宇都宮大学 農学部農業経済学科助教 小川真如氏
おがわ・まさゆき●1986年、島根県生まれ。2009年、東京農工大学農学部生物生産学科卒業。早稲田大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。著書に『現代日本農業論考』(春風社)、『水田フル活用の統計データブック』(三恵社)、『水稲の飼料利用の展開構造』(日本評論社)、『農業再生協議会論序説』(学術研究出版)などがある。

急激な価格上昇で日本中が大騒ぎになった「令和の米騒動」。前例のない備蓄米の放出を経て、今なお多様な意見が飛び交っている。2022年に『日本のコメ問題 5つの転換点と迫りくる最大の危機』(中央公論新社)を著した宇都宮大学の小川真如助教に、価格高騰の背景や今後の価格見通し、農業政策の論点などを聞いた。

──今回のコメ価格急騰は、2023年の高温障害からはじまっているそうですね。

小川 23年夏以降、高温障害による供給量の減少が目立つようになりました。稲は暑さに弱い品種が多く、特に生産量が最も多いコシヒカリは暑さに弱い代表的な品種として知られています。最も品質が良い「一等米」等級の23年産の比率が、コシヒカリの主産県である新潟県などでがくんと落ちたほか、精米時に割れる量も増えました。加えて「ふるい下米」の供給も急激に減少しました。

──ふるい下米とは?

小川 コメの粒が小さくふるいの下に落ちる低価格米のことです。量販店や病院向け、お菓子やみそ、ビールなど加工用に出荷されますが、このふるい下米の生産が前年より約20万トン減ったのです。こうした状況から専門家の間では23年秋からコメの品薄は予想されていましたが、その後のインバウンド需要の拡大や南海トラフ地震臨時情報の発表をきっかけにした備蓄需要の高まりなど、需要面での変化も重なり、価格が急騰したと考えています(図表1参照)。

図表1

──小麦などの他の穀物もここ数年でかなり価格の上昇がみられました。コメの値上がりだけ騒ぐのはどうかという意見もあります。

小川 ここまでの騒動になったのは、やはりコメが日本人にとって特殊な商品だからです。いくつかあるポイントのうち二つ紹介します。一つは主食として「必需品」の性格を持っているということ。必需品とは、価格が上がった時に一般の商品のように買い控えが起きるのではなく、需要が依然として強いままである価格弾力性の小さな商品を指します。
 二つ目は国が推進している生産調整の結果、微妙なバランスのうえで需要と供給が成り立つようになり、供給量のわずかな変化でも一気に価格が大きく上下動してしまいやすい状況にあったことです。過去には生産量が多すぎて価格が下落する「豊作貧乏」になることもたびたびありました。急騰する可能性も十分あったわけで、それが表面化していなかっただけだとも言えます(図表2参照)。

図表2

1.1人1日小さじ1杯で変動

──価格が上下する象徴的な目安の量として「20万トン」という量が注目されています。

小川 コメの需給動向を測る一つの目安とされているのが、農林水産省が発表する6月末の民間在庫量です。これまで経験的に180万トンを下回ると需給が逼迫ぎみで価格が上がりやすく、200万トンを上回ると需給が緩和ぎみで価格が下がりやすいとされてきました。つまり20万トンの振れ幅でコメの値段は上がったり下がったりする傾向を持つのです(図表3参照)。
 20万トンというとすぐにイメージできないと思いますが、国民1人1日当たりに換算するとぴったり小さじ1杯。1世帯当たりだと年間3.3キログラムにすぎず、スーパーなどで販売されている5キロの袋よりも少ない量です。南海トラフ地震臨時情報が発表されたときに、「念のため1袋コメを買い増しておくか」と考えた人は少なくないと思いますが、その1袋を多くの国民が買い求めると、コメ価格の上昇を招く「パニック買い」になるのです。

図表3

──需給バランスの見通しはいかがでしょう?

小川 23年に需要と供給が大きく変化した後遺症はしばらく残ると見ています。野菜は1年に数回収穫できるものや、産地ごとに収穫期が違う場合があるほか、関税も安く、一時的に不作になっても、供給量が短期間で回復して価格が安定しやすいですが、コメの収穫は基本的に1年に1回。一度大きなショックが起きた場合、平常通りに戻るのに3~5年ぐらいかかるのはやむをえません。

──25年以降のコメ価格の予測をお聞かせください。

小川 コメ政策に大きな変化がなく、現在の制度条件が続くと仮定した場合、スーパーで販売される1袋5キロ入りのブランド米の税込み価格は、4,200~6,500円程度になると予想しています。それとは別に備蓄米や輸入米が安い価格で並ぶということもあるでしょう。消費者にとって複数の価格帯のコメの選択肢が併存するという現在の状況が、しばらく続くとみています。

2.産地の分散でリスクヘッジ

──5キロ2,000円でコメが買える時代はもう来ませんか。

小川 抜本的な政策変更がなければもう来ないでしょうね。おそらく国も同様のスタンスでいると思います。備蓄米も比較的新しいコメの場合は、現状の価格よりももう少し高くなるでしょう。

──AIの活用など先進技術の導入でも難しいでしょうか。

小川 大規模化が可能で少人数で効率的にお米が作れる、北海道や秋田県の東北地方、新潟県などに産地を集約すれば、低価格のコメ生産を実現できるかもしれません。小規模で傾斜地に田んぼがある中山間地での稲作が多い、九州地方や西日本での稲作をやめていけば、日本全体での生産性は上がるでしょう。しかし低価格で十分な量のコメを供給できればそれでよいのでしょうか。効率を追求するばかり産地が偏在化するのはリスクが大きいと私は考えています。

──リスクとは何でしょう?

小川 高温障害が発生した23年の状況を調べると、暑さによって一等米比率が全国で低下したのですが、実は低下の幅は全国一律ではありませんでした。新潟県をはじめ、いわゆる米どころと呼ばれる地域では大きく低下した一方、西日本などの比較的コメ農家の少ない地域では落ち込みが少なかった。暑さによりコメの品質が低下すると一口でいっても、すべてのコメが一律の影響を受けるわけではありません。穂が出る時期、花が咲く時期など生育ステージによって暑さの影響のインパクトはかなり違います。特定の地域に生産を集中しすぎると、その地域での暑さや水不足、台風などの影響が日本全体へ直接的に及んでしまいます。
 一方、さまざまな品種、多様な産地があることで、被害を受けるタイミングを分散させることができます。市場メカニズム優先の政策からの揺り戻しが必要であるならば、気候変動や自然災害への対応力を高めるため、日本全体で産地をどのように分散させリスクヘッジするかという政策的な議論を進めるべきだと思います。

3.余った農地の活用法議論を

──長期的な観点で日本のコメ産業をどのように見ていますか。

小川 一時的に不足することはあり得ますが、日本はすでに人口減少局面にあります。輸入米もあるし、長期的に見ればやはりコメ不足の懸念は解消していくでしょう。「足りたらもう安心」で満足するのではなく、余った田んぼの利用法について本格的な議論をしていく段階に入ったと思います。もっといえば、いずれ田んぼ以外の農地も余ってきます。それら余った田んぼや農地を含めた「国土のグランドデザイン」について、社会的な合意形成を進めていかなければならないと思います。そのグランドデザインから逆算して個々の農業政策を決めていくべきでしょう。たとえば、現在、輸出米の増産方針も話題ですが、コメを単に増やすという提案ではなく、国土の使い道の提案の一つという視点をもって議論する必要があります。

──余った田んぼや農地についてどんな使い方が考えられますか。

小川 中山間地で有機農業への取り組みを推進したり、全国各地で花開きつつある農福連携事業をさらに後押したりすることが有望だと思います。また、大阪府の泉大津市は、将来のコメ不足を予測して北海道のコメ産地と契約して、学校給食用のコメの確保を進めてきました。25年にはコメ価格高騰を受けて、市民に安価で販売しました。平時のコメの確保を進めることで、非常時のコメの供給を実現したのです。食料の安全保障を国に全面的に依存するのではなく、自治体自らが産地とさまざまなつながりを模索していくケースが今後増えていくかもしれません。
 農業以外で活用することも可能です。余った田んぼや農地に計画的に太陽光パネルを設置すれば、2100年には電力を国内で賄えるという試算もあります。とにかく余った田んぼや農地を今後どのように活用していくのか、多様な国土利用の仕方について本格的な議論を始めるタイミングにきているように思います。

(インタビュー・構成/本誌・植松啓介)

掲載:『戦略経営者』2025年9月号

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